JA粕屋北部プラザさんの「みかん」の選果の作業風景を見学させてもらいました(2/9)

古賀市にも「市章」というのがあるそうです。昭和46年に採用されたそれは、「古賀市の「こ」の字をデザインしたもので、腕を組んだ姿は市民の力強い結束と和を表している。」とのこと。

カラーで使われる場合は、緑の地にオレンジ色の「こ」で彩色されることが多いようです。

なぜその色かって?

それは、昭和40年代の古賀が農業が今以上にさかんで、緑の大地に覆われていたから。そして、秋になると野山に「みかん」が実り豊かに輝いていたから。今もですけれど、先人にお話を伺うと、それはそれは規模が桁はずれのようで。昭和40年代後半からの柑橘類の貿易自由化の影響を大きく受けてしまいましたが…。

その時代に、大きな設備投資を行って立派な「みかんの選果場」を建設していることからも、その産業規模の大きさがわかります。

この「みかんの選果場」、新原に現存してます。現役で。
「JAかすや北部プラザ」の一部として。

平成29年2月9日に、古賀市の農林振興課さんの関わるイベントに参加させていただいたら、幸運にもこの「みかん」の選果作業を見学させていただくことができました。

ひろーい屋根付き選果場

入った直後にいきなり迎えたのは、たくさんの甘みが詰まったみかんの箱たち。色とりどりのみかんたちが、品種ごと・規格ごとに出番をまっています。

さらに、しっかり中に入るとびっくり。とっても広ーい。

JAかすやさんの、夏の「プラっとよってん祭」でも思いましたけれど、ほんとに広い。

現在はラインは1本しかないそうですけれど、どっかでみたかつての選果場の写真では5~6本のラインが稼働していたような。さもありなんって感じの広さ。

ちなみに、↑の写真のちょっと高いところに段ボールが列をなしてやってきていますが、左上のほうで「自動で段ボールを組み立てる機械」と直結しており、そこでどんどん段ボールが組み立てられて、選ばれた「みかん」たちを順番に受け止めていくそうです。

そんでもって、最終的には「自動で段ボールのフタをして、テープで梱包しちゃう機械」へと流れていくとのこと。省力化ってすごいなー。

実際に「みかん」の選果をしているところも見せていただきました。

梱包だけではなく選果もハイテク。1個づつセンサーにかけると、大きさや糖度をぱっと測って規格ごとに分類しちゃいます。

それがまた早いのなんの。どれくらい早いかっつーと、動画を見てもらったほうがわかりやすそう。(横着してゴメンナサイ)

繰り返しますが、1個づつセンサーにかかって、それぞれの大きさとか糖度とかを図っているわけです。
手作業で行っていた時代よりも早く、そして、触らないので選果での痛みも減らせるとのこと。

現在は、古賀市と新宮町のエリアを中心に、JA粕屋北部プラザさんの管轄区域の中では75戸の農家さんが65ヘクタールの面積で各種のみかんを栽培しているとのこと。その数15種以上!

9月の極早生温州(ゆら早生/早味かん/日南)、
10月~11月の早生温州(北原/宮川/興津)、
11月~12月の普通温州(今村/青島)、
12月以降の中晩柑(果のしずく/ネーブル/ポンカン/みはや/不知火/はるみ/はるか/スイートスプリング/せとか/甘夏/南津海…)と、旬を迎える時期にあわせてたくさんの柑橘類が。

見学会の当日は、試食アリ販売アリ。とってもアマい時間を過ごさせていただきました。

地元の作り手の愛情と玄界灘からの潮風、それに太陽の日差しをしっかり浴びて育った古賀のミカンたち。この施設で、さらに愛情をこめて選ばれ、そして愛情とともに詰められたミカンたちは、古賀のものとして全国各地に飛び立っていっています。もちろん地元の私たちもおいしく食べることもできます。次は愛情をこめて食べる番ですね( ̄ー ̄)ニヤリ 古賀の冬のおやつに、古賀のミカンをどうぞ~♪

【記事を書いた人】
千鳥足 大人の事情で、顔出しNGでしたが、いったん解禁しました。けど気が変わってやっぱり顔出しNGに戻る。 徳島県生まれ・福井県育ち。幼稚園から高校まで古賀にいたあと、茨城とか東京とか長崎とかで過ごしたのちに古賀にUターン。 趣味: 読書。遠藤周作とか吉村昭とか阿川弘之・阿川佐和子とかが好き。 お酒飲むのも大好き。

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