古賀イマゴロ 花見松原は「當國八所松原の随一なり」

 

かつては白砂青松の地といわれた「新宮松原」から「古賀松原」を経て「花見松原」と続く松林。

この松林は、黒田藩の農業振興で潮害を防ぐために慶長8年(1603)頃から植林が始められ、宝永3年(1701)と元文3年(1738)には大規模が植林が行われたといわれます。

特に宝永3年(1701)の際には、鹿部村1万7千5百本・古賀村1万5千本・筵内村7万5千本もの松苗が植林されています。

 

その中の「花見松原」は、江戸時代に貝原益軒が編さんした「筑前國續風土記」には「當國八所松原の随一なり。花見山の四邊にある松林なる故、花見松原と號す。・・・」と書かれています。

この「花見松原」は、現在の花見小学校からナフコ・マルキョウがある一帯だったようですが、「筑前國續風土記」とはほど遠い姿になっています。

【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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