【古賀はこがんとこばい】「古賀の民話と伝説の地を訪ねて」(その8) 鹿部 皇石宮(おおいしぐう)の伝説

花鶴丘2丁目から見た鹿部山

JR古賀駅から南へおよそ1km、花鶴団地の南の端にある「鹿部山」。

この山は、かつては「東の峰」(標高約57m)、「中の峰」(約65m)、「西の峰」(約56m)の三つの峰がありましたが、花鶴丘団地開発によって、現在は「西の峰」が一つ残るだけ。

この「西の峰」の中腹にある「皇石宮」には神功皇后の話が伝わっています。

神功皇后が高句麗・百済・新羅の三韓を征伐するために、香椎に長く滞在し、準備を整えていた。特に水軍船団の訓練に力を入れ、博多湾や玄界灘・響灘をくまなく回り、高い所に登っては西の方を望んで、いろいろと作戦を立てていた。

鹿部山も玄界灘を望むには絶好の場所で、神功皇后も鹿部山へ登り、水軍船団の訓練を指揮した。

訓練を終えて、山を少し下った所に、行く手を塞ぐように大きな石が横たわっていた。

それを見た神功皇后は、「この大石を私一人の力で動かすことができたら、三韓征伐が成功するであろう。」と語り、神に念じ、大石に立ち向かうと、大石は軽々と抱え上げられた。

これを見た家来達は喜び、この大石を御神体として、この地に神社を建てた。

こうして神功皇后の「皇」と大石の「石」が一緒になって、いつの日からか、この神社は「皇石宮」と呼ばれるようになった。

(享禄3年・1530の棟札には「大石大明神」と記されていることから、「皇石宮」になったのは後のことのようです。)。

古賀市教育委員会・古賀市歴史資料館発行「古賀風土記VOL.3」(2017年1月)の「歴史の散歩道」

古賀市歴史資料館には「鹿部山」に三つの峰があったころの航空写真などが展示されています。
(参考)昭和60年9月1日発行「郷土古賀の民話」(古賀町司書部会)

施設情報

施設名皇石宮
所在地古賀市美明1丁目25−1
TEL
利用可能時間
閉館日
Webサイト
駐車場
地図
【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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