鹿部山遺跡の発掘調査から50年【古賀イマゴロ】

 

鹿部山遺跡は、明治31年(1898)に皇石宮の社殿拡張の際に露出した甕棺から細型銅剣・細型銅戈が発見されていて、古くから知られた遺跡でした。

この鹿部山周辺に「花鶴丘団地」が造成されることになり、昭和47年(1972)に発掘調査が行われました。これが古賀市内での本格的調査の始まりともいわれています。

そして、今年が50年の節目の年になるとか。

鹿部山は、元は三つの峯を持つ山でしたが、花鶴丘団地の造成で東の峯と中の峯が削られてなくなり、皇石宮のある西の峯が残されています。


皇石宮の鳥居を包み込むような桜花

鳥居を潜った先の右側には真新しい碑が建っています。

社殿の前には真新しい石燈籠が建っています。

【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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