35mmスライドフィルムに収められた、青柳村の世界を眺める

ご縁のある方から、「中身わからないけれど、昔の古賀の様子らしき35mmスライドフィルムがあるよー」というお話をききつけて、お借りしてみました。

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スライドフィルムを眺めるために、フィルムスキャナーを確保!

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とりあえず1枚、入れてみると、いきなりこのスライドでした…。

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これはきっと古賀の桜だろうと思いながら、スライドを順次いれてみると…

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「青柳村と私たちの生活」と題した、なんらかの実地報告のようです。歴史の本によれば、(旧)古賀町・小野村・青柳村が合併し町制施行され(新)古賀町となったのが昭和30年4月1日ですので、もしかしたら合併前の青柳村時代のスライドなのかも。となれば収められている風景は昭和20年代…?

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手元にある「古賀町史」(1985, p86)を見てみると、昭和25年の国勢調査では青柳村の人口は2,801人だそうなので、やっぱり、このころかな…。

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企画は公民館連合会、後援として観光協会。古賀のかな?県のかな?

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主たる産業は、米・麦・菜種・柑橘・酪農・養鶏(←たぶん)。

この後のスライドでは、食と農を基軸においた、古き良き昭和の農村としての古賀の風景が収められていました。

たとえば、軽便・安価で、悪路と積載に強く、小回りの利く特性のある「オート三輪」。力強く田畑を駆け回っていたであろう姿が想像できます。

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またおそらくはミカンと思われる柑橘農園の手入れ風景。

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その後の新制・古賀町で採用された町章のカラーリングにも採用された、ミカンの実のオレンジ色とミカンの葉の緑色が広がる風景が、なんとなく浮かんできます。

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その後も農作業風景が続きます。おそらくは病害虫の防除の模様。

背景の山々の姿と位置関係から、なんとなく街の変容も感じます。

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屋内での作業風景も。なにかの加工風景っぽいですが、なんだろう…。

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と、こんな感じの記録が詰まったスライドたちでした。

交通の要所にあり、川による水の恵みもあった青柳。古くから今に紡がれる人々の営みが、そして先人の努力が、今の古賀を作っていますね。

皆さんの周りに、かつての古賀(程度は問いません。昭和から平成10年代。)の姿を収めている写真やネガがあったら、よかったらぜひお知らせください。

【記事を書いた人】
千鳥足 大人の事情で、顔出しNGでしたが、いったん解禁しました。けど気が変わってやっぱり顔出しNGに戻る。 徳島県生まれ・福井県育ち。幼稚園から高校まで古賀にいたあと、茨城とか東京とか長崎とかで過ごしたのちに古賀にUターン。 趣味: 読書。遠藤周作とか吉村昭とか阿川弘之・阿川佐和子とかが好き。 お酒飲むのも大好き。

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