【古賀はこがんとこばい】「古賀の民話と伝説の地を訪ねて」シリーズ(その2)

平成29年11月16日に実施されたコスモス市民講座「古賀の民話と歴史を訪ねて」で訪れた場所なども含めて紹介するシリーズ。

第2回目は、薦野地区にある「貝舞」の地名の由来の話。

薦野の貝舞
慶長19年(1614)の大豪雨の時,清瀧の不動山の麓が崩れ,その内部から三個の法螺貝が流れ出た。

一つ法螺貝は、流れて行くのを村人が拾い上げ,淸瀧の檀那寺である竃門山福仙坊に寄進したが,今は残っていない。

この三個の法螺貝が流れて行く時、唸り音が激しく村人は耳を塞いで恐れを抱いたと言い伝えられている。

海へ入った残りの二つの法螺貝は,村下で楕円形に幾回もぐるぐる舞いながら流れて行ったので,そのあたりを「貝舞」と呼ぶようになった。

古賀市立図書館収蔵の「歴史講座 古賀の昔と今」などの資料からすると、薦野地区にある(小字)「貝舞」が事件現場と思われます(たぶん?)。
(参考)昭和60年11月1日発行「古賀町誌」(古賀町誌編さん委員会編集)、昭和61年度「歴史講座 古賀の昔と今 『地名が語る村の歴史』」(講師 町文化財調査委員 長崎初男)、昭和62年度「歴史講座 古賀の昔と今 『古賀町の地名について』」(講師 町文化財調査委員 村山武)

清瀧橋付近から見た鶫岳(つぐみだけ)方面
清瀧橋の横にある「犬鳴山系西山(鮎坂山)周辺図」。鶫岳と清瀧寺の間に「不動岩」とありますが、この麓が約400年程前に崩れた?
薦野地区の麦田橋付の上から見た鶫岳のある清瀧方向。二つの法螺貝はこの辺りを流れて行った?
麦田橋を渡り、大根川右岸から見た景色(上流側)。上流から下流にかけて(小字) 「宮林」(天降神社がある)、「貝舞」、「麦田」(「麦田」バス停がある)と続いている。
麦田橋を渡り、大根川右岸から見た景色

 

麦田橋を渡り、大根川右岸から見た景色(下流側)
「古賀市案内マップ」
【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。